”本当のオタクは周囲を気にしない”って違和感あるよな。
オタクの同族嫌悪を語れば、この手のネットで流布されたよく見る説を叩きつけて
「俺は本当のオタクだからお前と違って周りは気にしてないよ」といわんばかりの
マウンティングしてくる奴多いけど、この流れに違和感あるんだよな。

実はむしろ同族嫌悪や俯瞰な見方でこじれた奴程、真性オタクなのではと思う。
その嫌悪感があるからこそ、反動でカウンターカルチャー精神が生まれるし
新しい表現へと辿り着く気がするんだが。宮崎駿だって同族嫌悪の塊な節があるよね。
そもそもこういった嫌悪感がないのって発展性や成長性が薄いような気もする。

今のオタクってこういうカウンターカルチャー的立場を取らないから、違和感感じるのかも。
オタクは周囲を気にしないって正論風に聞こえるし、賛同するば優越性を得られるもんだから
多くの人々がその考え方に共感を示してるって見受け方がするし、実はそれって大衆的で
嫌悪を語っている人々は出る杭は打たれるに遭っているって状態とも言えるのかもしれない。