オタクは2016年現在の日本の文化運動シーンにおける最重要の文化層の1つである。
一時はオタク文化の真実を拡散した「ドラマ・電車男(2005年)」の登場人物の中心であり、
2006年に放送された「アニメ・涼宮ハルヒの憂鬱」の成功は、
それまで長年にわたって日本文化界隈をいわゆるリア充・非サブカルオタクでと初めて互角以上に渡り合った。

その後もサブカルオタクはやはり時折思い出したかのように他のオタクへの批判や当てこすりらしきものを繰り返しおこない、
お互いに“激突”は慎重に回避しつつ、牽制する批判的言及が繰り返されている。

が、ここにきて、批判を自制するのはやめよう。2000年代の時期と比べてオタクが明らかに変質し、
日に日に偏狭の度を増しているらしいことを私はずっと残念に思ってきたが、もはやそれはこのまま放置しえないレベルに達している。
このスレにて、(初めて?)本格的に、サブカルオタと非サブカルオタを批判・評価する場所を作った。
サブカルオタが(かつてはともかく現在は)アンチオタクやリア充と“どっちもどっち”であること、
サブカルオタは(非サブカルオタの私を含め)批判対象と見なした相手に好んで「痛い」レッテルを投げつけるが、実は他ならぬサブカルオタ自身が最も典型的で偏狭な「痛い」であること、
2005年以来のサブカルvs非サブカルの抗争は(一見痛み分けであっても、また仮にオタクそのものが現在例えば崩壊しているとしても)本質的に
どちらが勝利しているかを疑問の余地なく論証していこう。