44はもっともらしく言っているけど、いじめられる原因が100%被害者側にある(心の貧困・コミュニケーション能力の欠如)という主張は間違っていると思います。
確かにそういう例もあるとは思うが、いじめられる原因が100%被害者にあり、その理由が心の貧困とコミュニケーション能力の欠如だけという狭い範囲の考え方に断定するのはどう考えてもおかしいと思う。
例えば、身体的に障害があり、性格は思いやりがあって普通にコミュニケーションがとれる子なのにいじめられてしまう。
むしろ、誰にでも優しくまじめで、コミュニケーション能力も全く問題ない子でも、いじめる側の心の貧困によっていじめが起きてしまう例だってある。
いじめる側にも原因はある。そして責任がある。どんな理由があろうともいじめによって他人を傷つけてしまったなら、他人を傷つけたという責任がある。いじめられた方に問題があったとしてもだ。
44は”「いじめられた原因」から目を逸らすためのすり替え・責任転嫁に過ぎない”と言っているが、いじめられた方が100%悪いと言ってしまうと、それこそいじめた側の責任転嫁になってしまう。よってこの主張は矛盾している。
いじめた側も確かに悪いのだが、いじめられた側の悪い点も見つめていかなければならない。という方がいいのではないか?
また”いじめは人間の取りうる最も効率的且つ効果的な人格更生手段”という主張は完全におかしい。”安易な妥協や馴れ合いはすなわち犯罪者予備軍を生み出す危険性がある”というがいじめを人生更生手段という方がもっと危険だ。

こういう思想をもった人間が間接的に誰かを殺すんだ。心を殺してしまうんだ。人を殺しているんだ。
いじめなんてしなくても、誰かの手で優しく触れてもらえれば人は変われます。

誰にでも優しくて思いやりのある子が、顔が気持ち悪いってだけでいじめられる。それでもこの子に100%原因があるのでしょうか。むしろこの場合、44の言った心の狭さ・貧しさはいじめる側にあるように思えます。

なんにしろ、いじめる側にも原因と責任があるのです。

二度と44のような稚拙で狭い範囲の考え方しかできない書き込みはしないでください。