コロナとオリンピックに思うこと 山本義隆(科学史家、元東大全共闘議長)
http://yamazakiproject.com/from_secretariat/2020/05/06/4773
私は1960年に大学に入学しました。その時もちろん1964年の東京オリンピックは決まっていました。
大学の授業で(略)試験問題のひとつが、「現在のオリンピックについて問題点を2点挙げよ」でした。

正解は「商業主義の弊害」と「国家主義の弊害」です。

すなわち、オリンピックはあくまでアマチュアリズムにのっとってのものであり、また国家が行うのでなく
都市が行うものだという理念があったのです。

企業と契約して金をもらうなどもっての外だったのです。他方では、ソ連や東欧諸国の、国家が丸抱えで
育成しているステート・アマも当時問題になっていました。

そのことを思うと、以後、とくに1980年代以降、オリンピックは完全に変質したのです。つまり、選手が
プロ化しただけではなく、国際オリンピック委員会自体が、オリンピック開催でテレビの放映権料を
はじめとして大きく金を稼ぐ営利事業団体となり、各国も国威発揚を目的に選手の養成をやっている
わけです。そして選手たちも否応なく国家を背負わされているのです。

そもそも今年の3月段階で7月にオリンピックなどとても開けないことがわかっていたにもかかわらず、
IOCもJOCもこだわったのは、メンツとともに主要には金の問題だったのでしょう。

現在の、それこそ商業主義と国家主義丸出しで、途方もない税金を使って一部の企業だけが潤う
オリンピックは、もうこれを機会に終わりにすべきでしょう。少なくとも、今回の2020東京オリンピックは、
まぼろしのオリンピックにすべきです。そもそも今回のオリンピック招致は、福島の汚染水がコントロール
されているとか、7月の日本は温暖でスポーツに適した状態にあるとか、経費をかけずに小規模で
コンパクトな大会にするとか、嘘にまみれた、それもバレバレの嘘にまみれた招致だったのですから。
(一部抜粋)