https://www.youtube.com/watch?v=bfsPLYzdLkY
その存在を初めて世界に知らしめたのは、2011年3月に米バーモント州ストラットンで行われた伝統の一戦・USオープン決勝の公開練習中での出来事だった。
このとき、平野は12歳。初めての国際大会出場であり、初となる海外遠征でもあったわけだが、惜しくも13位とファイナルには進めなかった。
しかし、敗戦ライダーの中からえりすぐりの実力者のみが許される、決勝進出者の公開練習に混ざって滑るポーチャー(英語でPOACHER。
直訳では「(他人の土地への)侵入者」)ランの機会を得ることができ、
そこで目の肥えたオーディエンスらを熱狂させたのだ。
大人顔負けの高さで宙を舞う小学生ライダーの噂は、瞬く間に世界中に轟いた。

以降も順調に成長を続けるわけだが、11−12シーズンから12−13シーズンにかけて、平野は飛躍的な進化を遂げることになる。


「環境が変わりました。初めて米国に行ったときくらいから、カズ(國母和宏)くんやカール(ハリス氏。
國母や平野のエージェント)たちに面倒をみてもらうようになったり、夏に(マウント)フッドのサマーキャンプに行くことができたり、
ニュージーランドにも行かせてもらいました。今まで滑ったことのないパイプの感覚を得ることができ、
いろいろなトップライダーたちを見てきたことによって世界のレベルを理解したうえで、
何を練習すればいいのか分かったことが大きかったですね」
本当に中学3年か? と耳を疑うほど頼もしい答えに聞こえたのは、筆者だけではないはずだ