>>935
アメリカにも熱心だったと聞いているが
しかしアメリカは柔道に対して冷淡で戦前戦後も柔道を受け入れようとはしなかった
それどころか戦後アメリカ進駐軍は柔道を敵視し世界から柔道そのものを無くそうとし日本柔道そのものの活動を禁止させるという愚挙をしでかす
ただヨーロッパそのものがすでに柔道が普及しておりとくに日本が敗戦したためフランス等では大手をふって柔道を再開した国もあり
(ドイツなんてそれこそ同盟国だから戦中も柔道やっていただろうし)
日本の柔道を潰そうとするアメリカに対してかなりの批判があがるのは当然の成り行きだ
結局アメリカは日本における武道の再開を認めざるを得ず再び日本柔道は復興を遂げた
ただそれ以前に柔道界を飛び出しプロ柔道を作った木村政彦は柔道界復帰は認められず結局プロ柔道も成功せずプロレス転向を余儀なくされたが力道山の
八百長プロレスに利用された奴の引き立て役になると言う屈辱の挙げ句挑戦するも八百長して引き分けすると言う筋書きだったはずが奴にはめられ半殺しされ惨めにも引退する有り様
アメリカのボケが日本柔道の活動を禁止しなければ木村は柔道に残れたはずなのだが
とにかく日本柔道は数年のブランクの末復活
昭和30年台に入ると世界選手権を開催しようという事になり日本の東京の蔵前国技館で世界選手権を二回連続開催し無差別級のみであったが日本人選手による連覇が達成される
三回目からは外国開催になりフランスパリで世界選手権開催
しかしここで日本人選手はオランダのヘーシンク選手の餌食になり優勝を阻まれる
しかもヘーシンクの恩師は日本の天理大松本先生
ヘーシンクは過去の世界選手権で日本の選手に毎回ぼこぼこにされ日本に留学
松本先生の指導を受ける
松本先生は柔道を普及されるためあえて来る者をこばわなかったが結果的に化け物を作る結果となるのは皮肉な事だ
そして東京オリンピック、実は東京オリンピックで柔道開催が決まったのは開催する1964年から数えてたった四年前
はじめから約束されていたわけではなくしかも東京大会一回こっきりの予定だった
しかし結果的にヘーシンクが勝ちヨーロッパで柔道が盛り上がりを見せた

つづく