スポーツに、人為的に作られたくだらないものであっても、
まがいなりにルールが必要なのは、人間の暴力性をコントロールしつつ、
安全に吐き出させる制御棒のような役割があるからだ。
アスリートも観戦者も、それをマネージする大会関係者も、
もともとが暴力衝動の塊のような人物なので、
社会に野放しにすれば、ありとあらゆる暴力的犯罪が蔓延するのは必定。
だれもが麻薬に手をださないようにタバコや酒があり、
いたるところで略奪が横行しないようにギャンブルがあるように、
社会悪ではあってもとりあえず公認されているというのが実態だ。
これが一部の人々がスポーツを必要とする社会的背景である。
スポーツをなくすとえらいことになる。
スポーツ好きとはそういう人種である。
あ、人種差別はいけないんだっけ。
そういえば、オリンピック憲章にもあったなあ。