【1988年】ソウル五輪【韓国】 [無断転載禁止]©2ch.net
ボクシングで判定に文句つけて審判を殴った朝鮮人
世界中に朝鮮人の民度の低さを露呈した オリンピック期間中、犬肉屋の営業を停止にしたんで
朝鮮人経営者がファビョッたことも有名w 昭和天皇のご容態ニュースで放送中断されまくりだった。 日本選手の長距離ランナーがゴールして倒れても無視した朝鮮五輪スタッフ
これが朝鮮人の民度だった 外国の選手が日本選手を気遣って起こしてくれてた
そして朝鮮スタッフを睨みつけてた ボクシングの判定不満でいやがらせに会場の照明を消した朝鮮人w ロイ・ジョーンズが韓国の審判買収の犠牲者になった大会だった。 ソ連のベロジェルチェフが初見だったけど、アンドリアノフみたいに圧倒できなかった印象がある。 ビロゼルチェフなw
鉄棒で大過失があって優勝出来なかったな
優勝したのはアルチョーモフ 新旧交代の失敗した男子体操団体で銅メダルとれたことが唯一の光だった
池谷がゆかでも銅メダルとったし ビロゼルチェフが83年の世界選手権を16歳で制したとき、
今後10年間は彼の時代だと言われたほどだったけど、
飲酒運転で交通事故を起こしたり、ソ連の体操連盟と
衝突したりして本領を発揮できませんでしたね。 >>20
連盟と衝突って何があったんだ?
ただそういういざこざがなくても当時のソ連の選手層は半端なかったからビロゼロチェフがトップに立ち続けることは難しかっただろう
なぜならソウルで圧勝したソ連団体メンバー6人は全員次のバルセロナには出場しなかったんだからなw
今では考えられない >>21
飲酒運転や交通事故といった素行の悪さで
連盟から謹慎処分を受けたりしていたと思います。
ソ連の選手には珍しく、破天荒な性格だったとか。
ちなみにビロゼルチェフは83、85年の世界選で優勝。
入れ違いに81、85年の世界選を制したのがコロリョフ。
仰る通り、89年の世界選から持ち点制がなくなり、
個人総合、種目別は一発勝負となったし、ソ連崩壊で
有力選手が各国に分散したから、ビロゼルチェフが
トラブルに見舞われなかったとしても、勝ち続けることは
難しかったでしょうね。 >>22
そのコロリョフって選手はソウル出たか?
全然印象にないわ
ソウル団体ソ連メンバー
ビロゼロチェフ、アルチョーモフ、リューキン、ハリコフ(アトランタで団体返り咲き金メダル獲得)、グルジア人、あと1人 コロリョフはピークを過ぎていたから
ソウルには出てません。
2度も世界チャンピオンになりながら、
結局五輪には縁が無かった。
ロス五輪にソ連が参加してたらビロゼルチェフと
共に選ばれていただろうけど、そうすると
日本の団体銅もなかったし、具志堅の個人総合金も
まず無理だったでしょうね。 ソウルのあと2人は
ノビコフとゴゴラーゼではなかったかな? >>25
なるほどね
ロスはソ連が出てたらメダルは途切れてたんだな
しかしロス五輪の具志堅やら森末は本当に時代に恵まれたよなw >>26
そうだったかもな
〜ゼっていうのがグルジア人だった 具志堅は当時、個人総合でソ連のメダル独占を阻んだ唯一の選手だったね。
中国が躍進、、童非に李寧、楼雲とタレント揃いだったが、個人金メダルには
届かなかった。
81年世界選 1位コロレフ 2位マクーツ 3位具志堅
83年世界選 1位ビロゼルチェフ 2位具志堅 3位アカピアン
いずれも具志堅以外はソ連勢。スレ違いですみません。 コロレフは22のとおり、世界選手権を2度制覇。
87年世界選手権でもビロゼルチェフに次いで銀メダルを獲得。
ソウル五輪個人総合の有力候補だったが、アキレス腱を断絶し
代表漏れ。一度も五輪の檜舞台に立つことは無かった。
アルチョーモフはどちらかと言えば、この二人に次ぐ2番手3番手の
選手だった。 なるほどね
ソウル前に怪我して五輪出場ならずか
典型的な五輪に縁がない選手だな
コロリョフ ちなみに
85年世界選 1位コロレフ 2位アルチョーモフ 3位クロル(東独)
87年世界選 1位ビロゼルチェフ 2位コロレフ 3位アルチョーモフ
アルチョーモフは派手な技よりも堅実に美しい体操をするタイプなので、
団体戦ではエースの前に演技。だから点数も抑えられる傾向にあった。
日本黄金期の中山や、リオ大会でいうと加藤のようなポジション。
だから上位が崩れたソウル大会はまたとないチャンスで、それをモノに
できたんだろうね。