メキシコ・ミュンヘン・モントリオール五輪E [転載禁止]©2ch.net
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アベベは気の毒ではあったけど、クーデターに巻き込まれる事なかっただけ幸せだったね。
遺族は全て失ったんだろ。 WE MEET AGAIN IN TOKYO 2020 東京五輪音頭2020とか作らないかなw
三波春夫みたいのがいないのが残念だけどw
間違っても秋豚48のイメージソングなんて止めてくれw YOUTUBEにモントリオール五輪のレスリング金メダル伊達の決勝戦の
動画があったので見たがほぼ完璧にフル映像で北出アナの実況入り
誰が映像を残してたのかわからんけどやっぱり残してあるんだね
公共放送局のはずの犬HKのバカは録画テープを使いまわしで消しやがったのは本当に愚か
たぶん開会式等の五輪映像はJOCなり関係者の誰かが残しているだろうね
この頃ビデオテープはベータがこの数年前に発売されてたよね 「レスリングの天才高田裕司」の動画も一緒に見るべし
高田はモスクワに出場してたら2連覇は確実だったろう
ライバルでも有り愛弟子の佐藤満とのソウル五輪金メダルがラストを飾るがこれは感動もの
高田の技を教え込まれた佐藤は全試合完勝で金メダル メキシコオリンピックの記録映画「太陽のオリンピア」を小学校の時に学校で見た
マラソンの最終走者が痛めた足を引きずって走り完走したことが印象に残っていた
あの黒人選手は誰だろうか?長年疑問だったがタンザニアのアグアリという選手だった モントリオールオリンピックの前にNHKがオリンピックの歴史みたいな(多分ABCかBBCが
制作した)ドキュメントを10回くらいの続き物でやっていたのが凄く良かった。
今にして思えば陸上競技に偏っていた気もするが、モントリオールまでのヒーロー、
ヒロインを丹念に紹介していた。Youtubeで検索するが見つからない。テーマ音楽
も頭に残っているが定かではない(バッハだと思うが。。。) モントリオールの五十嵐の鉄棒の降り技、
屈伸から伸身の2回宙返りは目に焼き付いている
ムヒナはモスクワに出ていたら、間違いなく金メダルだっただろうに・・・ 「体操の名花」チャスラフスカさん死去。
20年の東京五輪で来日していただきたかったですね・・・ 少し前の朝日新聞にインタビュー記事が出ていましたね。
おそらく2020年の東京大会を観ることはないだろうと
仰ってました。合掌。 >>220
五十嵐は笠松の替わりに出場したんじゃなかったかな
鉄棒の降り技は練習を見てたベテラン陣から凄く見栄えがいいと高評判だったらしい 大伸身後方2回宙返り!とアナが言ったのを覚えている。なんで大がついたんだろうと思っている。 当時は自分の感性で話すアナと正確性を重んじるアナに分かれていたかな
男子体操は前者で堅持の鉄棒の着地を大飛び越し降り、塚原は新月面宙返り行うか?ヤッターだったかな
逆に開脚カット脚前きょみたいな堅い用語もあったなぁ
良く考えたら解説者もいないのが普通だった >>225-226
モントリオールの男子体操の実況は鈴木文弥アナだね。
女子は向坂松彦アナ。 もしも・・だったらなんだけど
笠松が出場してたらチーム全体で5〜6の金メダルだったろうね
個人総合は通常ならば笠松・加藤沢・監物の3人か
笠松の優勝は堅かっただろうけど加藤の3連覇の大偉業を見たかったのも事実
笠松も試合が全て終わってから暴飲暴食すればよかったのに・・・ それはどうかな?
今となっては既定事実だけど日本の規定演技の点数はソ連や東欧圏の画策でかなり抑えられたものになっていて
日本の選手やコーチも不思議に思いながら演技してたらしいんだな
自由演技の途中でそれに気づいた審判もいたらしく
当時は規定、自由の得点を持越して個人総合、種目別が行われてたから笠松でもアンドリアノフに勝てたかどうか
それを考えたら金3(団体、平行棒、鉄棒)は悔しいが妥当かもしれない >>229
団体自由の演技順もソ連らの策略で変更されてたんだよね
ただ規定で予想外になって・・・ >>229
もっとも気づいていたのはフォーラムの大観衆でしょw
だからこそもう途中から完全に日本チームへの応援団になってた >>228
モントリオールの監物選手は不調だったんでしょうか?
結果は2位・加藤沢男、3位・塚原光男、5位・梶山広司の
各選手でしたね。 >>232
決して不調ではない種目別では2種目で銀を取ってるし
団体規定の平行棒でまさかの大失敗をしてしまったのが響いて個人総合には出れなかった
笠松の欠場や東側の圧力だのいろいろとあったから影響したのだろう
個人総合に出てれば間違いなく3位内には入っただろうし平行棒は加藤と優勝争いだったろう >>225-227
鈴木文弥アナは、五十嵐の鉄棒を
「後方伸身宙返り2回ひねり」
って言ったんじゃなかったっけ?
因みに塚原の鉄棒を
「新月面宙返り」
って言ったのは明らかに間違い。
そもそも新月面宙返り自体、塚原ではなく梶山の技。
マジレスすると、塚原以外の選手も月面宙返り出来てたが、発案者塚原を尊重して敢えてオリンピックや世界選手権では封印してたし、
塚原に限らず、他の選手に対してもその人の得意技をやらない「不文律」みたいなものがあった。
だから梶山が発案し、梶山の得意技でもあった新月面宙返りを、オリンピックで塚原がやるなんてまずあり得ない話。
ましてや塚原の演技直前のソ連との得点差は9.50。
このくらいの得点差なら、失敗のリスク背負って新月面やるより、安全牌で月面宙返りを着実に決めた方がまず無難。 >>233
有難うございます。規定で失敗していたのですね。
モントリオールは小さい頃で覚えてないんですが、
2年後の78年ストラスブール世界選手権で2位に入った
のは記憶にあります。
団体は五輪、世界選併せての10連勝。戦前はいよいよ
王座陥落か?と危惧されていたものの、ふたを開けて
みれば、2位ソ連を3点近く引き離してんの勝利でした。 やはりメキシコ五輪のマラソンが印象に残っています
高地で呼吸するのも苦しい地獄の耐久レースでした
アベベが途中棄権したのが衝撃的でした
競技場に君原が2位で入ってきた時の土門アナウンサーの実況が忘れられません
「亡くなった円谷幸喜さんもきっと"君原さん頑張れ"と応援していることでしょう」 土門アナの「まるで夢遊病者のようです」の実況は現在ではカットされてるね。 >>219
76年、当時中学3年でした
私もあの音楽が気になってます
確かにバロック調でしたね >>219
「オリンピック栄光の記録」だね。
自分も毎回わくわくしながら見てたよ。
今再放送しても十分楽しめる内容だと思う。 先日CSで放映されていたミュンヘン五輪の記録映画「時よとまれ、君は美しい
ミュンヘンの17日」を観ています。
個人的には女子走り高跳びを16歳で制した地元西ドイツのマイファルトが
初々しくて可愛らしい。その後は伸び悩んだり、モスクワ不参加で表舞台から
消えましたが、12年後のロス五輪で再び金メダルを獲得しましたね。
100m決勝、ボルゾフの隣のレーンで足を痛め棄権したトリニダードの選手は
クロフォードなのかなぁ? >>241さん
観直しましたが、マイファルトは背面飛びでした。
決勝に残った他の選手はほとんどベリーロールですね。 >>242
そうでしたか、ありがとうございました
私もマイファルトの成功後の喜んでる姿がとても可愛らしかったので印象に残ってます
ただロス五輪で復活金を取ったのはそういえばそうだったかな程度ですっかり忘れてました 女子体操ではツリシチェワの演技にスポットを
当てていますが、黒髪で憂いのある感じの表情が
可愛いですね。個人的にはコルブトより好きでした。
チェチェン州出身なので、東洋系の血が混じっている
のでしょうね。
100m金メダリスト、ボルゾフの奥さんですね。 男子体操のシーンは加藤と個人総合表彰式そしてやはり塚原の月面宙返り
テレビの映像とは違い後ろから撮影の月面宙返りシーン ミュンヘンから東ドイツの女子選手がクスリを使って金メダルを量産し始めた
それがモントリールで爆発したが、その後は副作用で廃人になってしまった
ドイツ人はやることが汚い >>247さん
有難うございます。やはりそうでしたか。
ボルゾフは余裕があったのか、両手を挙げながらゴールしてますね。
あれが無ければ10秒を切っていたのかな? >>248
ミュンヘン〜ソウル(ロス五輪は除く)までのメダリストは
ほとんどメダル剥奪だろうね水泳のエンダーや槍投げ連覇のフックス等
五輪だけでなく初期の頃の陸上や水泳の世界選手権共に 田口、長崎、鈴木大地らは東ドイツの選手をどう思ってたのだろうか?
あまり聞いたことがないが・・・ 思い返してみると、東独の男子水泳はそれほど活躍してませんでしたね。
女子は凄まじかったですけど。
長崎と同時代の平泳ぎですと、ゲベニガーですね。 >>236
メキシコ五輪は、標高2,000メートルを超える高地で開催されたからね
そのため、酸素が薄く空気抵抗が弱まり、短距離系、跳躍系の競技には優位に働いた
ハインズが100mで9秒95と五輪初の9秒台を出し、走り幅跳びでビーモンが8m90cmの
世界新記録を樹立し、91年まで破られなかった
逆に、長距離系の種目では呼吸が苦しくなり、記録は出ずらかった。
マラソンの金メダルのマモ・ウォルデも2時間20分27秒と近年では最も遅い記録だった >>251さん
陸上を見ていると、世界記録はともかく歴代10傑あたりには
未だに80年代の記録が結構残っているんですよね。 東独=ドーピングって女子水泳だけじゃね?
男の水泳強かったなんて記憶ないし、重量挙げみたいなパワー系はソ連、ブルガリアって時代だろ。
腋毛ボーボー丸出しで有名だった幅跳びのドレクスラーなんかどうだったんだろうね。 あの当時の東欧の選手たちは五輪以外で
日の目を見ないからああやってクスリでメダルを取り
注目を浴びたかったと思う
とにかく金メダル量産が異常に増えたもの 東ドイツのエンダーが来日したとき
控室で男が喋ってると思ったら、エンダーが出てきたという いまのドイツ水泳界はまるでダメ
いかにクスリでメダル取ってきたかがわかる ロランド・マッテスという背泳の第一人者がいたけど
あれもインチキスイマーだったな >>253
ソ連もサルニコフぐらいだな活躍したの
>>256
陸上もドーピングばかり特に短距離と投てき ロシアは大国なのにソ連時代から水泳は弱かったな
寒い国だから仕方ないけど 東京世界陸上のドイツ(当然東側)♀スプリンター、太腿&尻のどアップの異様さ半端じゃなかったw
ベルリンの壁崩壊後国家の庇護なくあえなくドーピング摘発で抹殺されてたなw >>256
男子に比べて選手層が薄く、記録向上の余地があった女子に力を入れていたって言うところでしょうかね? ハンガリーは昔も今も競泳と水球は世界の強豪国だな。 >>256
それは違う。単にドーピングの効果が最も顕著だっただけ。陸上、スケートは派手にやっていて
副作用で性転換を余儀なくなって選手(ハイジ・クリーガー)もいる。1970年から投薬が始まった
らしく、組織的には72年のミュンヘンに向けて、ヴォルフガング・ノルドビィヒ(棒高跳び)や
レナーテ・シュテッヘル(短距離3冠)等に投薬したことが分かっている。コリネリア・エンダー
の世界デビューは翌73年。
東独の組織的ドーピングは国が崩壊して資料が白日に晒されて、反論の余地がない。
特に陸上投擲とか、現在の基準でもあり得ない記録が一杯あるし、見るからに男である
女性選手も一杯いた。ババショフがロッカールームで男がいると言って、勝てないから
インタビューで責められて泣いたのも無理もないこと。
>>260 一応、公的な記録による投薬が始まる前から強かった(メキシコでも二種目制覇)
し、本人は否認している。エンダーと結婚したけど離婚したのはどういうことかね。
>>249 10"14だったから無理でしょう。彼のベストは10"07で当時歴代5位くらいだったと
思う。手動9"9のハートとロビンソンより強かったと思う。(但しドーピングはあったと
思うけど)。
>>240 ロスの頃はごつい大女という印象です。1982年に2m02の世界新を出しています。
>>239 視たいですね。映像は残っていないのかな。 女子短距離だとマリタ・コッホだな。400mの世界記録は
ジョイナーの100mとかと並んでアンタッチャブルな領域。 >>267
ノルドウィヒはミュンヘンでアメリカの連勝記録をストップさせた男だけどやはり薬使ってたか
スレタイに沿ってメキシコ、ミュンヘン、モントリオールのNHKで放送された総集編を観てみたい
子どもだったけど、結構ボリュームあったけどな
あの局のことだからもう処分してしまったかな >>267さん
詳しいご説明有難うございます。
ボルゾフの優勝はアメリカ勢の遅刻・失格による
棚ボタと言ってもよいのかな。
マイファルトは確かにロス五輪の時とは印象が大きく
異なっていましたね。まあ、16歳といえばあどけなさも
多少残っていますから。それとも西側でも?なのでしょうか。 >>269さん
投てき種目だけでなく跳躍系も東側の覇権が移っていた頃ですね。
モントリオール、モスクワはポーランドの連勝でした。
スルシャルスキとコザキエビッチだったかな。 ミュンヘン、モントリオールはソ連、東ドイツのやりたい放題の
インチキ五輪だったね メキシコで彗星の如くデビューした加藤沢男の逆転優勝がいまでも記憶に残ってる
メルボルン、ローマで僅か0.05差で個人総合を逃した小野喬の仇を討ってくれたもの >>267
エンダーの世界デビューは、少なくとも1972年のミュンヘン五輪だよ
200m個人メドレーで豪のシェーン・グールドに次いで銀、
100m×4フリーリレーでも銀なので >>274
それは失礼。ミュンヘンで彼女は未だ13歳だったので活躍も未だかと誤解しました。
印象にも残っていなかったし、個人メドレーもグルードが自由形だけで大逆転した
ことしか覚えていなかった。一方、翌年の第一回世界選手権の主役は明らかに彼女で
衝撃的だったもので。 >>263
グリット・ブロイアーだった。
2年間出場停止→復活してアトランタ銅メダルは凄いね。
そこまで身の潔白確信持てたんだろうか? あのときの共産国側の選手は信用できなかった
今はシナの選手が信用できないけどな 東京五輪のボート会場でもめているようだが
前回の戸田のコースは今の基準に合わないらしいね やはりミュンヘンの男子バレーの金メダルが印象に残っています
オリンピック前から「ミュンヘンへの道」のアニメが放送され金メダルへの
期待は高まっていました
バレーに無知でしたが、このアニメを見て興味が出てきました
今の男子体操が内村、白井、田中、加藤、山室と国民的に知られているように、
当時の男子バレーも大古、森田、横田、猫田…など子供の私も知っていました 当時の男子バレーは松平康隆氏が東京五輪から8年計画で作り上げたチーム
世界一のセッター猫田や世界の大砲・大古、ミスターバレーボール森田など役者が揃っていた
バレーボール発展途上の時代で時間差やクイックなど新技術を開発
今のコンビネーションバレーの礎になっている 金メダル取ったあと、監督、選手が羽目を外して芸者あげてドンチャン騒ぎをして
松平は協会から追放された 花輪って選手がいたことを覚えているけど、何時の五輪の時? 松平監督の生前のインタビューを10年程前に観たことがある
いやー、五輪で金をとるってのは生半可な気持ちじゃできないですよ。
東京では女子の付録扱いでしたからね、凄く悔しくて8年計画で絶対金をとってやると思って考えられる全ての事をやりましたね。
選手のスカウトから始まって、練習場に女性ファンを入れて手抜きできないようにしたり。
選手の強化だけではもちろん駄目ですね、ミュンヘンに遠征して日本の面白いコンビバレーを観てもらって本番に日本チームを応援してもらう環境を整えたり。
それからね、審判対策ですよ。
現金渡してこれで日本を頼むなんてことやったら賄賂になっちゃいますからね。
できるだけ多くの審判と友達になって誕生日プレゼントとして当時の日本の高級ラジオを贈ったりね。
東欧の審判なんてオーサンキューなんていって受け取ってましたね。
これで日本に有利になる保証はないんですけど審判も人間ですからいざという時、際どいプレーの判定を日本有利にしてくれるかもしれないでしょ。
決して健全とは言えませんがとにかく五輪で金をとるってのはそれだけ大変なことなんですよ。
長くなったけどこんな感じだったかな
賛否あると思うけどこのくらいの執念がないと金は難しかったんろうな >>282
花輪はモスクワに出てれば主力選手だったろうけど五輪には縁がなかった
ていうかモスクワボイコットに関係なくアジア予選で負けちゃったし花輪はその頃の選手 ミュンヘンのカヌー・スラロームの人工渓流はインパクトがあった。 ミュンヘン五輪の開会式のあの子供たちのマスゲームみたいなアトラクションで
流れてた曲は何というのかな?開会式用の音楽?
よく聞いてみるとチンポ〜チンポ〜チンポとも聞こえるww
31年前の神戸ユニバーの開会式での手塚さんのマスコットを描くやつでがこれ参考にしたと思う ミュンヘンのバスケット決勝は今考えるとかなりのロースコアだな。 今年、メキシコで五輪があったら、アメリカはボイコットをちらつかせたかもしれないなw チェルピンスキーが一番で会場に戻ってきたときに「あっショーターではありません!無敵のフランクショーター破れました!」?みたいに、アナウンサーが途中経過も知らなかったような実況をしていたのが印象に残る。 マラソン完全中継ではなかったからね
途中経過で君原か宇佐美が今トップを走っていますとか
モントリオールまではNHKでも少数体制で行ってたらしいからね モントリオールのマラソン
競技場→羽佐間正雄アナ
ロード→鈴木文弥アナ >>293
羽佐間穴はスタジアムにいただろうけど、鈴木穴は放送センターでのオフチューブでしょ。
だから情報連携取れてなかったと。
「ショーターではありません!」はまあ実況上の演出ってもんでしょw
ロスで瀬古が金取るのと同じくらいショーター二連覇は誰も疑わなかったからねw ミュンヘンのマラソン
競技場→羽佐間正雄アナ
ロード→福島幸雄・田辺礼一・佐藤隆輔・永田健支アナ 女子アイスホッケーが五輪出場権を獲得したが、男子は・・・ 3月15日に野球のWBCで日本がイスラエルと東京ドームで対戦するけどテロ対策は大丈夫なのかな?
国内開催の「日本vsイスラエル」というと、どうしても42年前の女子ハンドボールの無観客試合を真っ先に思い出すよな。 サッカーは日本のホームの試合をソウルでやったんだっけな。 >>302
その通りですね。
本来なら、サッカーのモントリオール五輪アジア予選は1975年10月に国立で集中開催する予定だったんだけど、
ちょうどこの時期は昭和天皇の訪米に反対した過激派の活動が先鋭化して警備当局がイスラエルの入国に難色を示し、
更には「台湾呼称問題」もあって返上を余儀なくされたのでホームアンドアウェー方式に変更された。
だけど、イスラエル問題は解決されてなかったので中立地のソウルでの開催を余儀なくされ、
結局この最終予選の日本のホームゲームは韓国戦のみになってしまった。
ちなみに、翌年1977年に行われたアルゼンチンW杯アジア1次予選で日本はイスラエルと再び同じ組に入ったけど、
この時も警備の問題で日本で開催できず、今度は敵地テルアビブで戦う羽目になった。 84年の冬季五輪に札幌が立候補したが、招致に成功した場合(開催決定は78年)、
イスラエルが参加することになったらどうしたんだろうね。 76年冬季のインスブルックは「中華民国」が参加した最後の大会になった。
中華人民共和国が国連安保理の常任理事国になってから5年も経っていた。 イスラエルがアジア大会を締め出されたのが1978年バンコク大会だったよな。 >>306
そうですね。
74年のテヘランはパーレビ王政のイランが装甲車まで出してイスラエルを警護した。
82年の大会後、アジア競技連盟をアジアオリンピック評議会に衣替えするという形で
イスラエルはアジアから追われて、ヨーロッパに移った。 メキシコってオリンピックの頃は今みたいにブッソウな国じゃなかったの? 内戦でめちゃくちゃになったサラエボで
1984年冬季オリンピックやったんだからな >>308
大会前に学生デモが起きて多数の死傷者が出た。 ミュンヘンの女子バレーがおしかった
テロ事件で決勝が一日延期となり、メンスを調整していた選手、特に
ベストメンバーであったロッパさん(古川)の体調が明らかに悪くなった
決勝はソ連とかなりいい勝負だったので、
一日延期はかなりいたかった 土門正男アナが亡くなりました。
ミュンヘン男子バレー決勝などの実況が思い出されます。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています