鈴木桂治はビール飲みながら他競技応援
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しかし桂治ってほんとに老けてるよな。
38歳らしいけど、48歳と言っても十分通用するだろう。 The Kodokan-Totsuka Rivalry and the Rise of Judo
https://i.redd.it/t89mnflo22221.png 04年アテネオリンピック(五輪)柔道男子100キロ超級金メダルで男子日本代表重量級コーチの鈴木桂治氏(38)が、全日本実業団体対抗(6月8〜9日、群馬・高崎アリーナ)に
出場することが24日、分かった。男子3部の国士舘大柔道クラブから出場し、7年ぶりの現役復帰となる。
関係者によると、4月ごろから実戦復帰に向け、本格的なトレーニングを始めた。全日本コーチと国士舘大男子柔道部監督を兼任する多忙の中、肉体改造にも励んでいるという。
現役時代は、長い手足を生かした小外刈りや大外刈りなどの足技を武器とした。男子日本代表の井上康生監督(41)の最大のライバルとして切磋琢磨(せっさたくま)した。
100キロ超級で制したアテネ五輪の他、100キロ級と無差別で世界選手権を制覇し、前人未到の3階級制覇を達成。12年ロンドン五輪代表を逃し、同7月に現役引退した。
13年の全日本実業団体対抗では、92年バルセロナ五輪男子78キロ級金メダルで強豪パーク24の総監督を務める吉田秀彦氏(49)が、男子3部で11年ぶりに実戦復帰した。
スター不在の柔道界を盛り上げるために一役買った。決勝までの6試合で5勝1分けと活躍し、準優勝に貢献した。
鈴木氏も同じように柔道界のカンフル剤となり、さらに、不調が続く担当の最重量級選手たちに向けて、本気の柔道を披露することで活を入れる考えがあるのかもしれない。
東京五輪まであと1年2カ月。38歳の五輪金メダリストが、強烈なメッセージを送る。
鈴木桂治氏が現役復帰へ 04年アテネ五輪で金 - 柔道
https://www.nikkansports.com/sports/news/201905250000057.html 男子3部で2004年アテネ五輪100キロ超級王者の鈴木桂治・男子日本代表重量級コーチ(39)を擁する国士舘大クラブが初優勝を果たした。鈴木コーチが公式戦に
出場したのは、2012年秋の岐阜国体以来、7年ぶり。個人成績は1〜4回戦が全て一本勝ち、準決勝、決勝の2試合は引き分けで、優秀選手賞も授与された。
表彰式を終えた鈴木コーチは下衣を脱ぎ、右膝をがちがちに固めていたテーピングをはがした。1月7日に手術を受け、この日も痛み止めを飲んで試合に臨んだほど。
しかも代表コーチ、国士舘大監督として多忙を極めるため、練習は「本当にやっていない。ほぼゼロ。0・5くらい。先々週、2日間で立ち技(の乱取りを)5本やったくらい」。
それでも畳の上に立てば闘争本能がよみがえる。代名詞だった足技もさえ、4回戦は大外刈りで一本。「今の精一杯はやったので100点。今、これが僕のできる全て。
いい経験をさせていただきました」と晴れやかな表情で振り返った。
当初は今回の出場に葛藤もあったという。国士舘大時代の後輩や教え子から誘われたものの、現在は指導者の立場。3部とはいえ、真剣に五輪や世界選手権
を目指す選手たちにまじり、ろくに稽古を積んでいない自分が出ていいものなのか。「後ろめたさも少しあった。柔道をなめていると思われるな、と思った」。
実際、練習不足がたたり、3、4試合目で脱水症状気味に。「頭がボーッとした。やっぱり柔道をなめていました」と話したが、応援に駆け付けた現役の教え子たちに、
戦う姿を見せつけた。
2012年のロンドン五輪代表を逃して第一線を退いた後も、団体戦などへの出場に含みを持たせていた鈴木コーチ。「引退宣言はしていないと記事を書いて
いただいたことはありますけど、もう引退します。もうないです」と宣言した。今回の“復帰”が大きく報じられたこともあり、「そういう意味(話題性)では良かった。
宣伝部長に少しでもなれたらいい」とお家芸の人気拡大に一役買い、肩の荷を下ろした。
葛藤抱えながらの復帰戦 鈴木桂治氏「もうないです」 柔道全日本実業団体対抗大会
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/06/08/kiji/20190608s00006000423000c.html 鈴木が1日2回も朽木倒し食らったせいで
朽木倒しが禁止になったんだっけ?