三国丘 堺のほか、天王寺・平野・八尾・岸和田などが中学校の誘致に乗り出した。その後誘致運動の状況から堺に設置することが有力という見通しになっていた。

八尾高 若江郡八尾村のほか、堺市・南郡岸和田町・住吉郡平野郷町・東成郡天王寺村などが誘致に動き、3校の増設が決定。翌1895年4月、大阪府第三尋常中学校として開校した。

茨木高 大阪府は当初、府北部方面に新設するの場所として、吹田村を検討していた。しかし島下郡の郡役所所在地である茨木村への設置を推す意見があがり、茨木村に設置することにした。

岸和田 大阪府では、郡部に2校目の中学校を増設する計画を立て岸和田も、誘致に名乗りを上げた。その後も中学校誘致運動が続けられる。1896年8月には泉北郡・泉南郡51か村の村長の連署で「尋常中学校設置願」が大阪府に出され、泉南郡岸和田村に第六尋常中学校を設置する議案が可決される。