高槻市は地元集中という慣習があったせいで、茨木高校に市立中学校の卒業生を
送ろうとしない傾向があった。茨木高校が超進学校になれないのは、
北野や洛南洛星星光高槻のせいだけではなく、昔の好ましくない慣習のせいもある。

まあ、高槻市は藩として独立していた侍の気風によるエリート意識と独立意識と、
市の北部などに京大や阪大や関大の教授などが家を建てて、
金持ち+リベラルな意識を持っており、それらが合わさって、独特な風土を作った。
そして、よその地域では中間層にあたる普通の子たちが、
高槻市ではエリートの子弟が多いせいで中の下以下の学力になってしまうため、
やむなく左翼的な平等主義を醸成してなだめることになり、
不良気味の若者と高学力の若者が入り混じる世にも奇妙な地域が成立した。
それをまとめてしまう妙なカリスマ性が辻元にはある/あったとのだろうな。