旧制高校、他の学校がせいぜい一学年100〜200人程度の中、一高だけは別格に最盛期には400人を超える規模だったそうだけど、それをマンモス校だとかマスプロ教育みたいに揶揄するような風潮はその当時あったのだろうか?
官立ナンバースクールのバンカラぶりを嫌って中学から七年制高校の尋常科に入学させる家庭はあったみたいだけど(ちなみに七年制高校は一学年の定員が更に少なく60〜80人程のところが多かったみたい)