「日比谷や西の復活が海城の高校入試組に打ち勝って、海城は高校募集撤退した」みたいな印象操作する人が多いが間違い

もともと、海城は都立冬の時代(当時は東大50名、60名台いて入試難易度もどの都立から見ても完全に挑戦校になるレベル。完全に都立トップの格上)も他の国私立滑り止め校だったし、もっといえば当時東大10名台の都立二強の西・戸山の上位合格組にも海城蹴りはチラホラいた
海城は開成と入試日は同じだったが、早実普通科以外の早慶附属高校とは日程がズレていたので国立大附属・早慶附属落ちて海城合格は凄く多かった(当時、高校入試組の2割近く東大に受かっていた桐蔭理数科も似た感じ。海城よりずっと入りやすかったし、開成とも国立大附属とも入試日がズレていた点が違うけど。逆に早大学院と入試日が被っていて併願不可)

海城の高校入試組の上位が他校に抜けるってのは、何も高校募集末期に限ったことではなかった
当時も高校入試組の進学実績は普通に良かったし東大の合格率も全然悪くなかった。ネット上に多数あったネガキャンサイトを真に受けてる人が多いけど(海城が高校入試停止したら、何故か、海城に対しは大人しくなったが・・・)