1976年に宮城県教育百年史が刊行されたのが始まり。
そこには、

宮城県教育百年史
第二節 日露戦争後における宮城県の教育 313ページ

明治32年7月、尋常中学校が南六軒丁に校舎を新築移転するとともに、分校は勾当台通りから清水小路の校舎に移った。
この分校が独立したものがのちに第二中学校になるのである。

『宮城県教育百年史』第一巻の345ページ

「明治33年度から宮城県尋常中学校が宮城県第一中学校(現仙台一高)と改称され、宮城県第二中学校(現仙台二高)が新設された。」

同じく665ページ

「すなわち明治33年には仙台市南町に宮城県第二中学校が新設され、

仙台二中が新設されたと2箇所に書いてあるが、1年生と5年生だけの変則的
構成だったなどとは、どこにも書いていない。
313ページには、
この分校が独立したものがのちに第二中学校になる
とはっきりと書いてある。