第2次世界大戦後、中学校までを義務教育にしようと試みたが、小学校の6年間に加えてさらに中学校の5年間を義務教育化するには資金が足りなかった。そこで、中等教育を前期の中学校、後期の高等学校に分け、中学校までを義務教育にした。つまり「6・3・3」は妥協策だったのだ。