開成の場合だと2月1日に筆記試験、2日は面接。ちなみに麻布も確か1984年度まで開成と同様に2日に渡って試験があった。
面接廃止して1日だけになったお陰で2日の栄光と併願出来るように。その組み合わせを推奨してのし上がって来たのが日能研。それ以前は神奈川ローカルの塾に過ぎなかった。

麻布が面接廃止したのは開成に押され受験者数減少に歯止めがかからなくなったため。それを打開するために単日試験になった。
当時既に栄光学園合格者数トップの日能研はそれ以前は1日慶応普通部、2日栄光という併願をそれ以降1日麻布、2日栄光という組み合わせに変え麻布合格者を増加。それを手土産に東京に進出、四谷大塚、TAPに対抗する進学塾になっていく。

開成はその後も1994年までは2日に渡って試験を行っていた。面接を廃止して2月1日単日入試になったのは1995年以降。
ちなみに東京の高校入試では国公立が5教科、私立が3教科で行われていた。88年度入試から開成が3教科から5教科に変更。それまでの国立進学者を獲得した結果、91年度東大入試で191人の合格者を出すことに。既に筑附はベストテン外に消え、筑駒も第9位、65人まで減少していた。

国立大学附属は通学区域が縮小されたり、義務教育である中学入試に抽選が導入されたりしたことで80年代以降都内で私立との力関係が逆転した。
筑駒の場合、当時は都内16区が通学区域で下町地区はそこに含まれていなかった。23区全域に拡大したのが高校入試が88年度、中学入試が91年度から。
当時御三家で筑駒との併願が最も多かったのが麻布で、ダブル合格者の圧倒的多数が筑駒へ。筑駒学区外の受験生はそのまま開成に進むことが多かった。
このことが麻布と開成のその後の明暗を分けることになった。