『週刊現代』11月6日号
(白黒グラビア8ページ)
「昭和の怪物」研究 その142
<strong>菅原文太(*) 叛骨者のブルース</strong>

<strong>『仁義なき戦い』『トラック野郎』で国民的スターに</strong>
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 1973(昭和48)年1月13日、東映の正月第2弾の仁侠(にんきょう)映画『仁義なき戦い』(深作欣二監督)が公開されるや、たちまち社会現象となった。映画館は連日の大入りで、これまで仁侠映画を無視してきた「朝日新聞」も絶賛した。斬新な脚本とカメラワーク、そして何より、主役である山守組の組員・広能昌三(ひろのしょうぞう)の姿が、従来の枠を超えたキャラクターだった。
 広能を演じたのは、当時、東映の「ドル箱スター」だった高倉健でも、鶴田浩二でもなかった。この時、39歳になっていた「遅咲きのスター」菅原文太(すがわらぶんた)である。出演料は200万円だった。
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 実際、菅原にとってこれほどの「はまり役」はなかった。『仁義なき戦い』で菅原は、「キネマ旬報」主演男優賞を受賞。同誌が2009(平成21)年に実施した「日本映画史上ベストテン」でも、同作品は5位に選ばれた。
 菅原文太の凄さは、これだけの看板シリーズを抱えながら、同時期の1975(昭和50)年から、星桃次郎(ほしももじろう)というまったく違ったキャラクターを演じたことだ。『トラック野郎』(鈴木則文監督)である。「東映版寅さんシリーズ」とも称され、全10作で87億円の興行収入を叩き出した。
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<strong>東北から上京し、遅咲きのデビュー</strong>
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 終戦後、県立築館(つきだて)中学から名門の仙台一高に進学。
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<strong>役者は食うか食われるか、一人だ。群れずに、一人でやる。―― 菅原文太</strong>

(*)仙台一高卒