一高卒が社長の河北新報は、昭和34年の高校受験で仙台二高が人気化したことに、
いてもたってもいられなくなったのか、
「仙台一高は名門校」で「仙台一高以外の仙台二高も含めた高校は二流校」などと
あることないこと書きまくり。
新聞社ぐるみで一高の提灯記事を書いて、仙台一高に誘導した。

今のようにネットがなく、受験生同志の情報交換も不自由していた時代、
新聞にこう書いてあれば、当時の普通の家庭に育った人は信じるしかないだろう。

今ならネットがあるから、「一高が名門だと?迷門の間違いだろゲラゲラ」
とでもネットで笑い話になっているようなことでも、
当時は普通の人が自由に意見を言えるような環境はなかったから、
このような嘘がまかり通った。

河北新報の一高の宣伝効果後押しもあったせいか、この年昭和34年で二高の人気化は
食い止められ、昭和35年以降の高校入試では、一高へ上位層が集められるようになった。