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↓戦前の旭丘がスパルタだって?(大爆笑)

大野一英 愛知一中物語(下) P80-81 (昭和53年、中日新聞本社)

【証人席】教師をテストする生徒 元愛知一中教師 足立正夫(76) ※年齢は当時のもの

大正十三年四月一日から戦後の学制改革による愛知一中の終焉までの二十余年間、
足立さんは生物教師を務めた。一中へ配属将校第一号が着任したのは大正十四年五月であるから、
彼は丸ごと配属将校の歩みを見届けたわけだ。

「その第一号の立松大尉。二年ほどいましたかねえ。例の配属将校排斥事件云々というのも、
新聞ダネにはされましたが、私は排斥というようなものじゃなかったと思う。どの先生も
やられたように、生徒から試されたわけ。だが、一中では、この生徒の審査にパスせんと
いかん。不合格になろうものなら、以後は全くバカにされて相手にされない。何しろ、
そんなことで神経衰弱になって自殺した先生もいますからね」

軍隊なら、上官の命令に背く者はいないだろうが、一中生徒はそうはいかん。てんで、
いうこときかんのだ。特に配属将校第一号では多少のトラブルはやむを得まい、と彼は思う。

「とにかく、生徒たちは試すんだな。あの手この手で。しかも専門知識、常識、心の広さまで。
(中略)私なんかも困らせられたものですよ」

(以下略)