一宮西高 同窓会報 第18号 2002年7月1日発行

(一部を引用抜粋)

>>17の続き)

こうした学校群時代も終わり頃の数年には制度廃止が周知のこととなり、
校内には危機感がつのり、生き残りをかけた必死の指導が行われ、
毎年三月に行われる卒業生の進路状況発表の際には、その結果を息をこらして見守る
といった雰囲気がみなぎっていました。新しい複合選抜制度は伝統校復活を目指すものであり、
なまなかな実績では西高が時代の潮流にのまれてしまうことは必至のことでした。
おそらくこの数年間が西高で最も大きな成果が上がった時期であったと思います。
★ようやく 入学生の多くが「西高が良い」と言ってくれるようになった★のもこの頃です。

さて複合選抜の時代となり、もはや★伝統校の名声を借りて生徒募集はできなくなりました。★
地理的、制度的不利を克服して西高の独自性をいかに築き上げるかが
容赦なく間われることとなりました。実際、数年の内に県内の高等学校の有様は激変しました。
幸い 新制度人試の下で入学してきた生徒達は従来と遜色なく、
とりわけ人柄の良さは私たちを大いに勇気づけ、海図なき変革の荒海の中を
細心の注意を払いつつも果断に改革を断行し船を進めて行きました。
★当時教師も生徒も「西高のア イデンティティー」という言葉をよく口にしました。★
初めての卒業生達はその特色を生かし学校群時代にも成し得なかった成果さえ上げてくれたのでした。

(後略)