一宮西高 同窓会報 第18号 2002年7月1日発行

(一部を引用抜粋)

西高での二十五年をふり返って ****先生

私が西高に赴任したのは昭和五十二年で、学校群制度が始まって五年目のことでした。
学校群制度とは地域の伝統校と比較的新しい学校が一括して生徒を募集し、
合格者を均等に二分して互いに競い合うという制度です。
戦前からの旧制中学を前身とする伝統校と同じ新入生を迎え、
三年後には立派に卒業させるという責務が伝統校の一分校に課せられたのでした。
誇らしさと同時にその重責を思うにつけ、当時の先生方の御苦労がしのばれます。

実際、★学校群時代を通じて西高は地域の年配の方々から「分校」 と呼ばれ続け★、
また★高校入試の合格発表当日には西高に振り分けられた受検生が涙を流す★という
光景も見られました。当時の私たち教員の胸の内には
「入学したときは悔し涙であっても卒業するときには西高でよかったとうれし涙にしてやろう」と
いう痛切な思いがあり、様々な独創的指導が立案され実行に移されました。

(つづく)