御三家から落ちたワタク武蔵の歴史

昭和30年代前半
都立高校が受験名門で私立武蔵は二番手、三番手の位置

日本進学教室という当時日本最大の進学教室の幹部の深澤氏が私立武蔵を生徒に勧め
通常300人だった受験生が1000人以上に膨れ上がる

昭和30年後半
都立高校に学校群制度が導入
日比谷・戸山・新宿・西などの東大受験難関校を狙っていた中学生が私立高校に流れる
私立武蔵は高校受験を導入、1クラス増やすなどの改革を行い
ついに御三家入り

1975年〜2005年
私立武蔵のOBによって設立された塾、学習指導会が優秀な小学生がいたら勧誘し私立武蔵を受けるように誘導。その結果東大に50名合格者を出すように

2006年〜
他の学校が東大受験の成果を競い合うようになった時代に
私立武蔵は東大受験が目的じゃない、と言い
「大学受験の指導をしない面倒見の悪い学校」という事実が浸透
また塾への情報提供も少ないことから、母親や塾教師の評判は最悪になり凋落

現在
県立高校から校長を呼び、他の中堅進学校レベルになるように改革中。目標とする新興進学校の広尾学園と一緒にサピックスの広告に出るなど情報提供も積極的

(2005年までの記述については高校同窓会会報56号を参考、現在については私見)