Q7. 瑞陵が明和と交わした「政治取引」とはなんですか?

瑞陵は、複合選抜が始まるにあたって、旧五中の瑞陵が明和の滑り止めとなる代わりに、
地盤である名古屋市南部・知多地区の
昭和(当時)・横須賀(当時)・名古屋南・市立向陽の4校を滑り止め校としてぶら下げてもらった、
競合する(かつては格下だった)半田(旧七中)には半田東としか併願させず、
瑞陵は横須賀と併願できる(当時)というアドバンテージ、優越的な地位を与えられました。

これが明和と瑞陵の間に交わされたとみられる「政治取引」の具体的な中身です。

すなわち県教委としては、実際は、明和・瑞陵・刈谷の3校に露骨なテコ入れしたつもりだったんですね。
実は当時の県教委の爺さんたちは、口には出さずとも、
尾張東部における境界特例で(明和→)瑞陵→刈谷の併願すら想定していた可能性があります。

そこまでやっても瑞陵は、「普通の進学校」明和の滑り止めになるという
そもそも最初の致命的なミスがあまりにも大きく、受験生・保護者(しかも旧大学区世代)の支持も得られず、
向陽を滑り止めにするどころか、逆に向陽の滑り止めとして定着した、
半田東としか併願できない半田にも完敗しました、桜台とほぼ互角となりました。

瑞陵→昭和・横須賀との併願は、とくに昭和については弊害(※)ばかりが目立ち、
昭和と春日井が交換トレードされる形で、平成19年入試からの群・グループ分けの一部変更で解消されました。
最近までほとんど注目されていませんでしたが、半田は新たに昭和とも併願可能になり、今では定着しました。

(※)伝統校同士の組み合わせによる高倍率、ダブル不合格の多さ、
昭和の第1志望入学率が異常に低かった(推薦合格者以外はほぼゼロ)、など。