>>308
> 校風としては千種のほうが旭丘に近いし

これはニワカがよくやる典型的な間違いなんです、
菊里は小学区制実施時に旭丘生(一中生)をダントツで一番多く受け入れた高校で、
前身校に普通科男子校を持たない菊里普通科を一から作ったのは一中生なのです。
その名残りの代表例がバスケットボール四校リーグですね(旭丘・菊里・明和・向陽)。
↓瑞陵同窓誌公式も認める突き抜けた自由な校風も、このような背景があるのです。

Web版「五中−瑞陵60周年記念誌」 第3部 終戦から現在まで
http://www.bekkoame.ne.jp/i/zuiryokai/60kinen3.htm

> 瑞陵の性格について、旭丘へ移った先生はつぎのように見ている。「名古屋市内で自由な校風を
> もっているのが第一番に菊里で、旭丘、瑞陵がこれにつぐ。進学を重視している点では旭丘と
> 明和だが、気質的には瑞陵と旭丘に共通するものがある。伝統へのあこがれは旭丘の生徒に強く、
> 一中の後身であるという意識が強く、瑞陵は五中との関係について中途半端な気持ちのようだ」

逆に千種は、「明和の弟分」として発足し(第1回入学式を明和で実施)、
旧大学区制時代までは非常に厳しい校則で知られており、
学校群時代になっても、教員の権限・影響力が非常に強く、
何を決めるにも現在に至るまで教員と生徒が馴れ合いをする学校なのです。
当時の千種の教員たちは、千種を絶対に「旭丘の二番煎じ」にしないことに強く固執しており、
制服自由化運動は断固として叩き潰し、
当時、愛知県下の公立高校の学校祭で模擬店の出店が認められていたのは、
(千種と群を組んでいた)旭丘と菊里の2校のみでしたが、これも断固として認めず、
3年生の全クラスが演劇をすることを学校祭の目玉として打ち出し、旭丘・菊里と差別化しました。

当時の愛知県立高校の教員たちが千種を「理想の学校」と礼賛していたのには
このような背景・事情があり、「千種の自由は先生が守っている」も
このような状況を揶揄・自嘲する千種生から生まれ出た言葉なのです。