>>777(旧)日本貯蓄銀行
1922年に名古屋の系列の異なる3貯蓄銀行(愛知銀行系の丸八貯蓄銀行、伊藤銀行系の伊藤貯蓄銀行、明治銀行系の明治貯蔵銀行)が合併、丸八貯蓄銀行を存続銀行とし、銀行名を改名して成立した。
当初は旧3行で役員などのバランスが取られていたが、1932年に明治銀行が破綻すると愛知銀行との関係が強まった。
1941年には愛知銀行と伊藤銀行などが合併して東海銀行(後のUFJ銀行→現在の三菱UFJ銀行)となると、同行を補完する関係になった。
名古屋市に本店を置き、中京圏一帯に店舗網があった。日本貯蓄銀行の名称は、1945年の国策による合併後も銀行名として引き継がれる形となったが、日本貯蓄銀行は存続銀行ではない。

大阪貯蓄銀行
山口財閥系の貯蓄銀行。大阪市に本店を置き、三和銀行(後のUFJ銀行→現在の三菱UFJ銀行)と補完関係にあった。

摂津貯蓄銀行
岸本財閥系の貯蓄銀行。大阪市に本店を置いた。

日本相互貯蓄銀行
第一相互貯蓄銀行の成功を見て、日本生命保険の関係者が興した貯蓄銀行。大阪市に本店を置き、近畿地方に店舗網があった。

協和銀行
1948年、戦後強まったインフレーションがさらに高進し、公社債などに資金運用が限られた貯蓄銀行は軒並み逆ざや状態となり、遂に民間の貯蓄銀行は経営が成り立たなくなってしまった。
日本貯蓄銀行も普通銀行に転換して協和銀行と改称。市中金融に進出して経営改善を図った。以降、協和銀行は全国各地に点在していた店舗網[注釈 3]を再編。
地方店舗[注釈 4]や都心部の重複店を整理する一方、首都圏の住宅地などに集中して店舗を開設。ユリの花をトレードマークとし、リテールバンクに特化した経営を続けた。