株式会社協和銀行(きょうわぎんこう、The Kyowa Bank, Ltd.)は、1948年から1991年まで存在した日本の都市銀行。
1991年、埼玉銀行と合併し協和埼玉銀行となった。現在のりそな銀行の前身の1つ。

株式会社協和銀行
The Kyowa Bank, Ltd.
市場情報東証1部 8322
1951年10月1日 - 2002年2月25日
本社所在地〒100東京都千代田区大手町一丁目1番2号
設立1945年(昭和20年)5月15日(株式会社日本貯蓄銀行)
金融機関コード0006

普通銀行業務
資本金1,411億円
従業員数7,971人支店舗数247(内首都圏147)

歴史

当行は第二次世界大戦末期の1945年5月に9行の貯蓄銀行の新立合併により設立された日本貯蓄銀行が、戦後の1948年7月に普通銀行に転換し協和銀行と改称(商号変更)したものである。以下、これら前身行の沿革を示す。

日本貯蓄銀行
1945年5月、以下の9つの貯蓄銀行が合併して日本貯蓄銀行が設立された[注釈 2]。

日本貯蓄銀行は戦時体制の下、貯蓄増強といった国策を遂行するために並立する大手貯蓄銀行を強制的に統合し成立した銀行である。
従って、母体行によって所在地・営業形態などは全く異なっていた。

不動貯金銀行
1900年、牧野元次郎により設立された貯蓄銀行。当初「不動貯金」(据置貯金。
現在の定期預金だが期間が超長期のもの)、「出世貯金」(抽選で利子を先払いする貯金)を考案したが失敗。
その反省から「三年貯金」(のち「ニコニコ貯金」。現在の定期積金)を開始。外務員が預金者を勧誘し、また定期的に訪問して集金するスタイルが受け、業績が拡大。
大黒信仰を基にした「ニコニコ主義」をモットーに日々の貯蓄の重要性を外務員を通じて預金者に説いた牧野の経営手腕により、合併直前には全国規模で最大手の貯蓄銀行となっていた。