どれほどの意味があるのかは別として、神戸高校が県下公立トップだったのは、
1987年(39回生卒業時)が実質最後の年です。その後数年間は「四大(東大・京大・阪大・神大)
合格”率”では県下公立No.1」という条件付きとなり、震災年以降は数だけでなく率でも長田と姫路西を下回るのが普通に
なりました。震災の年に、神戸高校越えを達成した長田から理V合格者まで出たことは、
(その年のサンデー毎日の表紙を飾った)時代の変遷をさらに印象付ける結果となりましたね。
ただ神戸高校の学区は震災の被害が甚大で、長田高校の長田高校生の多くが通う学区
(垂水、西、須磨区北部)の震災の被害は第一学区(東灘、、灘中央区)ほどでは
なかったというのは他地方の人には分からないでしょうが。