9学区制施行で実績は悪化したものの80年代中盤まで天王寺の実績は安定推移していたが、バブル期に実績の悪化が顕著になった
この時期に郊外への住民の移動で大阪市南部で人口が激減。景気の良さから郊外開発が活発化したこと、地価の急騰が東京都心から大阪市内へも波及したこと、再開発(地上げ)が盛んになった等
これにより実績の悪化スピードがじわじわと上がり続け、天王寺は京大合格者で40名を継続して超えられなくなったあたりで理数科設置が議論の遡上へ
実際、理数科設置して数年は京大合格者が20名台にまで落ちるという事態が発生したものの理数科が早めに設置されたのですぐ30名〜40名台に復活した経緯がある
高津にも同じように理数科が設置されてもよかったのかもしれないが、天王寺の組織力の強さゆえであったのかなんなのか・・・