都立の学校群制度。
1965ころに朝日新聞の記者(朝日ジャーナルの記者だったかもしれない)が都立日比谷高校の生徒数名に座談会させて、その発言の一部を取り上げてエリート意識を問題視するような記事を書いた。
都の教育長を焚き付けて、1967年に学校群制度導入させた。
当時の知事は革新系のM氏。
学校群制度以降の都立の経過はご存じの通り。
学校群は15年続いて廃止。
隣接学区間の受験も制限つきで可能となった。
学校教育法で公立高校の学区規定が2003年に削除されたのと同時に、当時の石原知事が学区廃止。
進学重点校制度をも設置。
今に至る。