当時の現役教員のブログより引用
(1970年と推測される)
1月17日に制服制度に関する全校投票が行われ、
制度廃止に賛成1,029、反対266、棄権144という圧倒的多数で制服廃止が決議され、
1月20日の議会で正式に制服制度廃止が決議された。 
議会で再度議決したのは、生徒の正式な議決機関は議会であるという生徒会顧問団の指導に生徒達が応じたからであった。
制服廃止運動のここまでの経過を簡単に記すと、
生徒会という組織があり、“旭丘民主主義”というルールがあるのでそれに沿った形で要求しなさいというのが生徒会部、指導部の一致した指導方針であり、全員会も了承していた。
(途中略)
生徒の議決を受けて、全員会での長時間にわたる討議が始まった。
この件に関しては校長は最初から、県教委通達の枠内で考えるという態度を明確に打ち出していた。「改良は良いが、廃止は困る。」というのが校長の見解であった。  
我々も県教委通達の重みは十分に知っていた。
しかし、通達があるので認められないでは我々教職員の主体性はどこにあるのかという事になる。
生徒達に正式なルートを通せ、ルールを守れと指導してきたからには我々もまたこの問題についてきちんと議論する必要があった。
いろんな意見が出た。
「私服にすると、生徒の服装が派手になるのではないか。」という意見には「心の不安定さが服装に現れると考えれば、服装が生徒を指導するうえでの一つの目安になるのではないか。」という反論が出た。
連日の全員会での論議の結果、「制服は教育の重要な環ではなく、廃止しても教育上支障はない。」という結論を出した。
しかし、校長見解との整合性を考えなければならなかった。  
そのため、生徒には次のような全員会見解を示した。
「生徒会の服装問題に関しての決議要求の件は我々も前向きの姿勢で検討努力したい。しかし、この問題は決議からすぐ実行という方向に直接的に結びつかない難しさを持っている。我々は父母の意見を聞き、世論とも睨み合わせて進んでいきたい。」  
校長の意向を汲んだ全員会の見解としてはこれが精一杯の表現であった。