大野一英 愛知一中物語(下) P15-16 (昭和53年、中日新聞本社)

第十四代校長の伊藤允美は、大正末期からの数年間を一中ですごす人だが、
後年、彼が書き綴った思い出は、極めてユニークに一中生を活写している。

それによると、昭和初年頃までの一中生の自慢(行動特性)は、

@弁当は食べたいとき、いつでも勝手に食べ、しかも、やたらにご飯などを
室内外へ投げ捨てるから、窓際などは飯粒で雪の降ったようになっている。

A学校の掃除は、自分の教室さえ絶対にやらぬこと。これは、掃除ごとき
つまらぬことをするために、学校へ来ているのじゃないぞ、という言い分によるが、
その代わり、父兄会は掃除人夫を常雇して、掃除させねばならなかった。

Bガラスや戸、窓、床板、羽目板、机、腰掛などは勝手に破壊して楽しむこと。

C校庭外へは、いつでも出入りし、飲食までもすること。従って脇門外などには
洋食の一品料理屋が出没。生徒はハラが減れば、
玄関からでも飛び出して、平気で道路でパクついている。

D先生をテストし、困らせること。

E(中略)愛知一中といえば必ずストライキを連想するほど、
ストの名物学校になり果てていたこと。なんでも、ストライキの回数は、
大正十四年頃までに六十八回。多いときは一年に二、三回もあったといい、
ほとんどの場合は、ストの陰に父兄会が動いていた――。

(中略)大正十四年のあとは、昭和五年の一中最後のストライキまで、
ストのなかった年は一回だけ。だから六十八プラス四=七十二回ということになる。

とにかく、手に負えぬ暴れっぷりだが、軟派など陰湿なかげりがなく、
カラッと男性的で明るい点が救いである。