>>214
共立学校は今で言う予備校の走り的な存在とか言われてるけど今の予備校とは意味合いが違う
当時まだ中等教育がちゃんと整備されてなくて公立の中学を出ただけじゃ東京大学予備門の入学試験には対応できなかった
当時の小学校は読み書きそろばんの世界、それに対して大学は欧米からのお抱え教授による外国語での講義、でそれをつなぐ中等教育はどうすべきかで試行錯誤してたわけ
一時は中学は外国語で授業をする正則科、日本語で行う速成科と別れてたのだけどそれだと片方だけ出ても予備門の入学試験には対応できない、
なので公立の中学は適当に済ませとっとと上京して自分の足りない教科を私立学校で学ぶ方が手取り早いということになったわけ
でどんどんと受験生が上京してしまうので当時社会問題になったほど
それは地方だけでなく東京でも同じで例えば東京府立一中の代表的な出身者夏目漱石なんかも。
漱石は一中に2年間だけ在籍した後漢文を学ぶために二松学舎に転じ、次に英語を学ぶために成立学舎に。
もちろん日比谷高校でも二松学舎でも漱石をOBとして扱っている(成立学舎はすでに廃校)

前身校を含んではならないのだとしたら東京専門学校時代の早稲田とか他にもアウトなところが続出してとてもじゃないけど君の味方なんて出てこないと思うけど?