札幌南の一学年の定員が1000人だった頃(啓成ができる前)、大学に行かずに
働く人は普通にいたそうだ。ちなみにうちのじいさんも南卒だがじいさんの同級生
で大学に行かずに個人タクシーの運転手になった人がいた。すぐ近くに住んでたから
よく知ってる。