「一同が平伏している間に、真柱から一言「許す」という、
ありがたいお言葉があってはじめて工事に掛ることが出来ます。
これがお運びとお許しの一例です。」
 天理教の時代錯誤の感覚がわかりますが、もはや時代劇のコントです。
こんな事を今だに真剣に行っているなら、
教会長をする人も無くなるのは当たり前の話だが、
なぜそれが上層部にはわからないのだろうか。井の中の蛙状態ですね。