俺は人々を苦しみから開放したいのだ。
俺は血を吐くような苦しみを味わった。
苦しみを味わった人間こそが、人の苦しみに寄り添うことができる。

俺は天理教組織の被害に苦しむ人の力になりたい。

それが、あなたが種を蒔き、生えた結果だ。
とても真っ当な結果だ。

さて、よく考えてみてほしい。

「天理教組織」ではなく「天理教教義」に忠実なのは誰だ?
心から「人を助けたい」と思っているのは誰だ?