どんな生活かというと、食事は精進料理で夜は早く寝て、朝日よりも早く起床する。
食事、動作、作務、禅すべてに決められた作法や型がある。
最初は、決められた型を覚えるのに必死だった。
やっと型を覚えたら、次に待っていたのは徹底的に自分と向き合うことである。
これが以外に難しいということである。
作法というのは無になる空間のための儀式(スイッチ)に過ぎない。
本質は、型にあるのではなく、型の中にあると言っていた。
師匠は、ただ何も言わずに型の遂行だけを毎日繰り返すのみ。
解脱や、悟りといった境地なんて想像もできないほど遠く、
現在の自分がいかに雑念に捕らわれているかが悔しいほど身に染みていると
言っていた。
ただ、その雑念のおかげで私に連絡しようと思ってくれたことには感謝した。
ゆっくり話す時間がなく、彼の成長を期待して頑張れよーといって別れた。
雑念に塗れている私には到底無理だと、尊敬の念をこめて思う。