0941実名攻撃大好きKITTY
2018/03/20(火) 22:02:28.20ID:CSRl6Kr50つまり、この2つでは事実と伝承が曖昧なまま混在となっているのである。
こうして分かるように、あくまで天理教は庶民のための教えであり、
信者に対して知的教養は求めていない。
より踏み込むならば、庶民を差別化するような知識は排除される傾向にあると
言っても過言ではないだろう。
それは現在の天理時報はじめ、天理教の布教戦略は、
弱者(庶民)のためのものであることから明白である。
これが無意識的であることにようやく気付く(意識化する)のは
「天理教は弱者のためだけなのか」というConflictが芽生えることである。
「だめの教え」(だめ=最終的な)というのは弱者のためではなく、
全人類に対する救済ということであるが、
それを「おたすけ」という言葉で記号化してカテゴライズすると、
たすけられる人=弱者という自動展開となってしまう。
そうすると天理教の金科玉条である陽気暮らし世界そのものが、
弱者のためになってしまい、強者(天理教がなくても陽気に暮らしている人々)
には天理教が必要なくなってしまう恐れがある。