天理教の閉鎖性のもう一つの理由は、天理教の構成員(信者)の教養の低さである。
ここまで言い切ってしまうと私が刺されそうだが、
天理教信者は「頭が悪い」という意味ではない。
天理教は歴史的に信者に知的教養を構造的に求めてこなかったという意味である。
多くのノーベル賞受賞者や知識人、文化人を輩出しているユダヤ教徒は、
その教義の前提として勉学の励行が挙げられている。
同時に強欲を禁じる教義から蓄えた資産は教育の投資となった。
その結果、世界的な知識層を形成した。
一方天理教はというと貧病争の庶民の宗教であり、知的成熟は教義にはない
(と思う)。宗教学的には、東大宗教学科で学んだ2代真柱中山正善が、
それまで明確ではなかった天理教の教義を編纂しようとした。
しかし、本当に教祖にまつわる逸話なのか、庶民の口から口へと伝承された噂話が
教えとして誤って布教されていたのかという曖昧な境界で編纂は頓挫してしまった。
一方で、当時2代真柱ほどの教養のある天理教人は周りにはおらず、
仕方なく2代真柱は教外の作家や知識人に教義の編纂や逸話の作成を依頼した。