天理教が出版する書物は読んでられない。
でも、同じ温度に浸る信者にはちょうど良い言語能力で書かれている。


俺もさ、第三章に入るときに言語能力を下げようと思ったわけ。
俺自身が当事者だから、そんな若者達に理解できる言葉を使おうと思ったわけ。
っていうか、その方が俺自身が自然体なわけよ。

最近の社会学さんへの俺の投稿がまたひでーんだ!笑
でも、まぁ、いいんじゃね?笑