私が大変に興味深く感じたことは、
教祖の体内に神が降臨したという瞬間に先行して教祖の息子が足を痛めたことである。
もともと教祖の中に神が入ったのも、
教祖が息子の足の回復を願う祈祷をしていたことによる。
この「足を痛めた」という事象が、古代キリストとの共通点を見出さずにはいられない。