私は、娘が生まれ、一歳、二歳と年を重ね、大きくなっていくとき、何を思ったのでしょう。

日々、子供が成長していく喜びは、食って出して科学的に体を大きくしていっただけでしょうか。
朝、ヒマワリに水をやる子供の姿は科学的に説明できる喜びなのでしょうか。

私は、一周回って「『神』なんていないという”無機質”な生き方をしたい訳じゃない」と気がつきました。

『神』は必要か。不必要か。
そんな二元論で議題に上げたいのではないのだと理解しました。
私は現代において、信仰の在り方を問い直すべきだと言いたいだけです。