天理教が今後、社会とどのように付き合っていきたいのか。
これら判断の基準が提示されれば、どのように論理展開すべきかは自ずと判断できる。
むしろ論理展開など、
ある程度文学トレーニングを受けていれば例え反対の立場であろうと、何とでもできる。
では天理教にその判断の基準が出せるのかというと、現状ではそれはできないと思う。
その天理教という船がどこに向かうのかは、
船長を中心とした方向性を決定できる幹部たちにしかできない。
船長以下は、船長が示した方向性に舵をきり、帆を上げるだけなのである。