大きな勘違いをしているというのは、
何も天理教が生命倫理学を構築する必要はないということである。
そんな頭脳は天理教にはない。役割でもない。
倫理的課題といっても、枝葉に惑わされてはいけない。
生命倫理を構築するのは、
そのアカデミックなトレーニングをうけた医療倫理学者や哲学者が考えることであり、
市井の一医者や特定の宗教者が判断することではない。
そんな奴らに誰も回答を求めていない。
議論することは自由であり何も言わないが、天理教の論点は”そこ”ではない。