また先ほど指摘した「古き良き日本の姿をもう一度」という雰囲気では、
現代が「絆の弱まり」としているために、逆説として「昔は絆が強かった」となる。
果たしてそうだろうか。私は分からない。
一昔前の日本では経済的困窮や地域コミュニティーの関係性があり、
家を出たくても出られない者や地域の目があり個性や個人の欲求は
集団に埋没するしか生きる道はなかっただけではないのだろうか。
確かに昭和までは家族の形態として世代家族が家族の主流単位であったはずである。
しかし私たちが望んだように、核家族化は進み、
通信技術も進み人と顔を合わせることが少なくなった。
その私たちが望んで獲得した生活上で、
オールウェイズ三丁目の夕日を目指すことはナンセンスではないか。
布教部長も「家庭の再構築」といっているが、
布教部長の言っていることは再構築ではなく、再現ではないだろうか。
再構築するのであれば、一体古い家族観を解体する必要がある。
そこを言及してほしいものだ。「家族」とは何かー天理教的家族論ーってね。
ポストモダンに突入するが故(いやずっと前に突入してるんだけど)、
新しい家族観を構築する必要があるのではないか。
そうじゃないと天理教が望むように日本はダメな人たちばかりになり、
社会と天理教との距離は増大するばかりであろう。
夫婦や家庭の問題があることが問題ではなく、
それらを問題とする認識に問題があるのではないだろうか。
離婚、DV、依存症、多重債務、不登校、ひきこもり、虐待、非行、うつ病、自殺
こうした問題を経験したからといって他人に問題にされたくはない。
不登校の子どもがいることで夫婦・親子の絆が弱まっているなんて言われたくないぜ!
それでも家族で楽しく生活してんだ!
「いんねん?徳がない?」
あなたたちの言葉はあまりに軽過ぎる。
天理教人よ、あなたちの言うことは理想過ぎて眩し過ぎる。ほっといてくれ。
おっと感情的になって申し訳ない。