しかし、原理主義で一番大切で、且つ一番危険なことは原理の篩に掛からない
例外をどのように扱うかであろう。
そして、皮肉なことにその例外に対して宗教の真価が問われるといっても過言ではない。
少し難しい言い方になったので、例えをあげよう。
天理教の大切な教えに「夫婦雛形」というものがある。
これは夫婦の姿は陽気暮らしをする家族、地域、社会、世界、宇宙の基盤となる。
ということだと思う。詳しくは知らないけど。
そして、夫婦という形の対極にあるのは離婚である。
原理主義的に「夫婦雛形」を考えると、離婚経験者は
「夫婦雛形」を破壊した、諦めた人と否定形で語られる。
これは非常に危険なことだと思う。
だって、離婚した人は天理教では常に罪悪感や余計な背徳感を背負わされるんだから。