本部に集まったお供えは現実には、人の為に使われていません。
本部勤務者の給料だったり、箱物修理だったり、
真柱や幹部が高額納税者として名前を連ねる、その基礎となる収入源になるのです。
「お下がりのお金」がそうした高山のほこりに使われても、
それこそ何の不足もなければめでたい限りですが、
「二番目に間接的に人助けになり」にはほとんど当たりません。
自分(教団)の為にしか使われていないということです。
教団に更にほこりを積ませる加担者にもなるのです。
報恩は神様(本部や教会)にしなくても、自分の周囲の人たちに直接的に、
目に見える形で尽くせばよいのです。
教団を通す必要はなく、神は宗教・宗派・人種にかかわりなく「人が喜ぶ行為」を
受け取るのであり、「人を助けてわが身助かる」の真理・法則は教団を通さなくても
完結します。
全知全能の神は天理教教徒だけを助けるのではありません。
どうかお供えで無理せぬよう、心を縛る天理教的発想から解放されることを
願っています。