私自身は「会議」と名のつくものは苦手で、
できれば出たくないものだと思っております。
話す内容によっては急ぎのことや白黒つけなければならないこともあると思いますが、
時間的リミットまでは談じ合うようにします。
「談じ合う」というのは私の中では心を一つにしていく過程のことで、
罵り合うことでも批判することでもなく「本質を皆で究めていく」ことじゃないかと
考えています。
クリティカルな視線も大事ですし、
人の意見をよく聞くことも大事だと思っています。
自分の考えと違う人にはなぜそう考えるのか、
どんな事情があるのかなど詳しく聞くべきだと思っています。
外交でもそうですが、仲よく円満にというより、最初から合意などはなく、
話し合って妥協点を探っていくこともあると思います。
ただ、その妥協点を探るにしてもお互いが納得できるように「談じ合う」ことが
大切な気がします。
そして「談じ合える雰囲気」を作ることも大事だと思っています。
権力のある者が一方的に流れを作り、
勝手に「心が一つになった」「旬が来た」というのは私の中では論外です。
形骸化した会議体はなくすべきで、名前は「会議」でも絶対的な強者が司会で、
意見を言っても仕方がないものなら「報告会」と名前を変えるべきです。
(字数制限いっぱい?)