以前、信仰をしていた人で今は離れている人や、身内に信者さんがおられたような人は、悪い感情を持っておられる人があるようです。
これは、天理教の純粋な教理というより、教団の運営や会長の言動に不信を持ったり疑問を感じておられるようです。
教会や会長の値打ちをお供えの額や別席者の数で、追い詰めてしまっているからだと思います。
お供えは出来なくても、信者は出来なくても、しっかりとした信仰と信念を持っている人が輝ける組織であって欲しいと思います。