人の助かりを願って教会が身上の快癒を願うのは当然の行為です。
金品を請求するのは恥ずかしすぎます。心苦しいなら気持ち程度で。
三日分日当は多すぎます。教会は自立すること。
信者のお与えなどと甘えた気持ちを起こすことなく、純粋に祈ればよい。
自分の生計は働いて自分で稼ぎ出す覚悟が必要。
お金が入りだすと、不純なものが入り込む。
天理教の情けない現状はこういったお金にまつわる人間の欲からです。
秀司さんがお金に惑わされ、教祖を泣かせたように。
教祖一家は家業を持ち、自立した生活をしていたのです。これが「ひながた」です。
神様はお金の取引はしません。安心して祈ってもらってください。